10時から17時過ぎまで認知症の父親の付添い。対人恐怖の俺は発熱しまくっていた。
診察だけならともかく検査するだけでも認知症患者は一苦労・・・。
病院は老人ばかり。
こんなことを毎日していたらこっちが病気になると思った。
午前中は母親が仕事を抜けることができたので一緒だったが、午後からは自分だけ。
午前中に便を漏らしたので母親がなんとかしてくれたが、いなかったら発狂してただろうな。
漏らしてたので検査できないと言われたし。
俺は介護をする年齢ではない。
騒音もひどくなるし、借金も抱えて悩んでいるし、父親の病状が悪化する始末でメンタルがやばい。
こんなにひどいのは2016年以来じゃないかな。
とにかくやる気が起こらない・・・。
完全に食欲は失せている・・・。
帰ってきた後に母親に「苦しい」と言った。
「こんな不運ばかりで死ねってことじゃないか」とも言った。
そうしたら「神様が必要としているから」と怒られた。
2013年に自殺を決意してそこから2015年までにメンタルを持ち直してきたのに、2016年からろくなことがない。
自殺はできないだろうけど、マジで生きる意味がわからない。
苦しむために生きているとしか思えない。
母親は年齢の割に若いけど、母親がやばくなったら俺はマジで死ぬだろうな。
母親に親孝行できることは今からでも少しでもしないといけないと思った。
あと絶縁状態の兄弟とも連携を取らないとまずいと思った。
今回も母親を通じて父親の介護に協力してくれることになった。
この本に、
自殺を報じるニュースを見て「どうして飛び込むのか」などと言う人がいるが、自殺者は必ずしも自ら死を選んでいるわけではない。あまりに悩み、辛くなると身体か脳が意思を介在せずに勝手に動いてしまうのではないか。
と書かれている。
自殺は衝動的にやると思う。自殺前にかなり悩んだり、病んだりしている。
この本には、
何でも話すことができる甘えられる相談相手が一人いるだけで、自殺のリスクは半分に減少すると言われる。大人になってその人の安全基地になるのは配偶者であることが多い。仕事のストレスを浴びた上に、私生活でも安全基地がないとストレスはたまる一方。
数年前から精神科医や臨床心理士に色々相談しているが、安全基地にはなっていない。
両親も実は安全基地になっていないが、母親がいなかったら上に書いた通り自殺リスクはかなり高まるだろうね。実際に2013年の自殺決意の時は助けられた。
さらにこの本には固執性、反芻思考の強いアスペルガー気味な自分に対する解決策も書かれていた。
悲運や理不尽さを嘆いたり、周りの人や自分を責めたところで、傷口を広げてしまうだけなので起きたことをどう受け止め、どう対処するかが大事。
もう起きてしまったことをくよくよと何度も考えてしまうことを精神医学で反芻思考という。反芻思考に陥りやすい人は、うつにもなりやすい。自覚と訓練で反芻思考はコントロールすることができる。否定的な体験への固執性を自覚しておくことがそこから脱出する助けとなる。囚われている人は、それが必然的な状態と思い込んでおり、そうなるのは相手がひどいことをしたからだと思いがちだが、それがすでに囚われの罠に陥っている。そこから開放されるには相手ではなく自分にかかっているということを理解すると事態は変わっていく。
反芻思考に陥った時、それを切り替える訓練を日頃からする。切替方法として体を動かしたり、場所を移動すること。瞑想したり、仮眠することも切り替えられる。
反芻思考に陥った時、「この事を考えて、何か役立つだろうか。何かプラスになるだろうか。結果を変えることができるだろうか。」「考えても同じことを考えるのをやめよう」と自問し、その考えを吹き払う。頭を振ってもいい。ストップと声に出しても良い。これらの方法は思考停止法という認知行動療法の技法や変法。
今日も病院で母親に大学に行かなければよかったなどと話していた。
いつまでその当時の話をしているんだろう。
カウンセリングでも大学時代あたりの話をしていたけど、何にも消化されていない。(カウンセリングは本当に効果がないと思った)
やはり切り替えるには行動しかない。
瞑想や仮眠ははっきり言って効果ない。