印象に残ったこと
卒業研究制度はもはや形骸化しているという意見がある。先輩の卒論からコピペして、若干の新規実験データを付け足しただけの手抜きの卒論がまかり通っている。低調な成果しか出ない卒業研究ならば、諸外国のようにやらないほうがましではないかという「卒論不要論」もある。
統計検定の有意水準を複数併用することは、不正であり禁止。「 p<0.05, p<0.01,p<0.001」などいう文言が論文にあってはならない。 統計検定とは実験で得られたデータの差が本当に根拠があって再現し得る確固とした差(有意差)なのかあるいは偶然に生じた差なのかについて決着させるための論法。ポイントになるのはどれくらい発生確率が小さい結果ならば「偶然の産物」とは認めないかという基準。これを有意水準という。
有意水準は差の再現性を保証するが、差の威力は保証しない。にもかかわらず、効果が弱いことを粉飾しようとして、有意水準の厳しさを強調する論文が実に多い。一般にデータの標本数が多ければ、厳しい有意水準もクリアしやすくなる。自分の研究結果は効果が弱いことに劣等感を抱く研究者はやたらと実験を繰り返し、標本数を増やして、むやみに厳しい有意水準で検定をしたがる。
しょせん実験というのものは現実を簡略し、近似させたものに過ぎない。どんな実験にせよ、仮定の上に仮定を重ねており、そうして得られたデータを見て真実を知ったつもりになっている。
ある種の仮定を前提とした話にすぎないと積極的に認めるのが科学者に求められる倫理。これを認めなかったがためにスペースシャトルは安全と言われても爆発事故が起こったり、金融工学は万能と言われたのに金融危機が起こった。
雑感
研究結果を絶対的なものにしてる人が世の中に多いと思う。実際は万人には効果がないのに、研究者は自分の仮説を一部の実験結果によって効果があると言っている。
おまけに実験は絶対じゃないのにことあるごとにデータを示せと声高に叫ぶ奴らの多いこと・・・。
あくまで理論は参考程度に留めるのがいいと思う。そして自身で実際に試してみるのが一番。